【前編】仏教嫌いだった若者が、お坊さんになるまでの経緯とは? 「浄慶寺」住職・中島 浩彰さんに聞いてみた

真宗大谷派 小野山 浄慶寺

こんにちは、DATEMAKI編集部の野阪です。

突然ですが、みなさんは「仏教」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?

  • なんとなく良いことしてそう
  • 概念がとにかく難しい
  • 先祖や死者を弔うためのもの
  • 人々の救いになる
  • どこか怪しい臭いがする

などなど、いろんなイメージがあるかと思います。

では、もう1つ質問です。

みなさんは、仏教についての確かな知識を持っていますか……?

いかがでしょう。よくよく考えてみると、わたしたちは仏教を主要宗教の1つと認識しつつも、詳しく理解しようとは思っていないのではないでしょうか。

「お坊さんじゃないんだから、知らなくていい!」という意見もあるかもしれません。であれば、「お寺の後継ぎとして生まれ、お坊さんになった人の中には、仏教に興味関心を持ってなかった人はいないのか?」という疑問も湧いてきます。

そんな人がいれば、お坊さんになるまでの経緯や仏教について思っていたことなど、根掘り葉掘り聞いてみたい……。

でも、そんな人そうは見つからないだろうな……。

ましてや、メディアのインタビューで「仏教嫌いです(でした)!」と言えるお坊さんなんているはずが……。

左)野阪  右)中島さん

いました。

今回、お話を伺ったのは中島 浩彰(なかじま ひろあき)さん。テレビ朝日の番組『ぶっちゃけ寺(※現在は放送終了)』にも出演してた有名なお坊さんです。

中島 浩彰(なかじま ひろあき)さん

京都市中京区にある「真宗大谷派 小野山 浄慶寺」の住職。「ぶっちゃけ・問答(座談会)」や「テラの音(本堂でのコンサートと法話)」、「お寺で宇宙学」などお寺での活動のほか、「国境なき僧侶団」の共同代表(もう1人の代表は杉若 恵亮さん)としての活動なども精力的に行っている。

※前編である本記事では、仏教が嫌いだった理由や、お坊さんになるまでの経緯を話していただきました。


「中島さん、本日はよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


「『国境なき僧侶団』のHPで、中島さんのプロフィール見てみると、旅行代理店とか古着ブローカーとか色々書いてありますけど、どういう経緯で住職になられたんですか?」


「あのー、うーん。どこから話そう……」


「あ、だいぶ遡っていただいていいですよ」


「いいですか?」


「はい、もう全然!」

京都・仏教・宗教が大嫌いだった青年時代


「私はこのお寺(浄慶寺)の長男として生まれたんですけれど、浄土真宗(以下、真宗)は世襲制なので元からお寺を継ぐことになっていたんです。小さい頃は『お寺の跡継ぎ』と見られるのは嬉しかったんですが、中学生くらいから逆に重圧になってきて。お寺を継ぐことに反発する度に、『あんたは“生きている”んじゃなくて、“生かされている”んやで!』と母親から散々言われてきました」


「生かされている?」


「仏教(真宗)では、それが基本スタンスなんです。みなさんは血と汗の対価としてお給料を貰って生きているけど、お坊さんはみなさんからお布施を授かっている。つまり、お坊さんはみなさんの血と汗の結晶で、食べさせていただいている存在なんだと。これは、あくまで一つの解釈ですけど。

でも、何かしたいって思っている思春期の人間からすると、『生かされている』と言われれるのは鬱陶しかったので、すごく反発していましたね。当時は京都・仏教・宗教が大嫌いでした


「お寺の跡継ぎなのに(笑)」


「そうなんです(笑)。宗教って意味分からなくないですか?」


「そうですね。大半の日本人にはあまり馴染みがないものだと思います」


「日本って、宗教教育がほとんどされていないんですよ。オウム真理教みたいなカルト宗教の事件で話題になったりして、怪しげなイメージばかりが先行している。初詣やお葬式といった慣習もあるけれど、それらがどういう意味を持っていて、なぜ大切なのかは教えてもらえない。

学校教育では良い会社に就職をすることを目指して、知識を詰め込んでいくだけだから、何のために勉強するのか、という本質的なことを教えられないままなんです。ある意味で、お金と数値の資本主義に縛られた教育しかされてなかったのかなって」


「同感です! いまの学校教育は、どうも視点が偏りがちですよね。ちなみに、京都が嫌いなのはどうしてなんですか?」


「京都って周りが山に囲まれていて狭いから、みんな顔がつながっているんですよ。そこに身動きの取れない、息苦しさみたいなものを感じていました。だから、当時は仏教はもとより、日本の文化にもリスペクトはありませんでした。代わりに、自由の国・アメリカには憧れがありましたね」


「偏見もあるかもですが、なんかイマドキの若い子みたいな感じですね」


「そうそう。だから、『アメリカに行きたい』と言ってみたりするんですけど、これが猛反対されるわけで。親は『遊んでても良いから、とりあえずお寺の大学に4年通って、坊さんの資格を取ってくれ』の一点張りだったんですが、もうそれがカチーンと来ました。『4年間、私の人生を無駄にさせるつもりか?!』と。

そういう反発もあって、カリキュラムの中にアメリカの短期語学留学がある『京都国際文化専門学校(現:京都芸術デザイン専門学校)』という学校に入学しました。短期留学を2回したんですけど、そのときの経験がいま自分に大きな影響を与えているなって思います」


「どんな経験ですか?」


「留学先の語学学校で『なぜアメリカに来たんですか?』、『夢は何ですか?』、『母国はどんな国ですか?』、『宗教は何ですか?』といった話題についてディスカッションする機会があったんです。

最初2つの話題は自分が思っていたことを上手に話せたので、すごく反応が良かったんです。でも、母国の話は上手く言えないから、茶を濁すような感じになりまして……。最後に『宗教はなんですか?』の問いに、『無宗教です!』と胸を張って言ったら、急にみんなの表情が豹変して『You are crazy(狂っている)!』、『Alien(人間じゃない)!』って一斉に批判されました


「ええ!! どうしてですか?!」


「あとで理由を聞いたら、『君が最初に言ってたことは素晴らしいと思ったよ。けど、無宗教だと聞いて、君が人間なのかどうか分からなくなった。他の人たちはどういう価値観(宗教)のもとで、発言しているのか理解できたけど、君の言葉はみんなの顔色を伺って、都合よく言っただけかもしれない。そういう信頼性のない言葉を同じ人間の言葉として認められないよ』って」


「宗教がそんなに重要視されるんですね……」


「アメリカは色んな国から人が集まっているから、何を考えているのかなんて顔を見ても分からないんですよ。だから、しっかりコミュニケーションを取って、相手がどういう人間なのかを理解しようとするんです。で、その人の根本にあるもの(価値観)が何かっていうのを、宗教が担保してくれるみたいで」


「確かに。宗教ほど人の価値観に影響を与えているものはないかもしれません」

本山で目の当たりにした、お坊さんの裏側


「2度目の留学が終わると、すぐに就活が始まりました。当時はバブルで簡単に内定をもらえる状態だったので、やりたかった海外専門の旅行代理店に入りました。

でも、そこが自分の売上の割合が給料になる歩合制だったんですよ。私はアメリカに旅行したいお客さんの対応はできるんですけど、ヨーロッパ旅行のお客さんの対応はできなくて。

で、前者は男性2人組のお客さんが多いから40万円くらいの売上になるんですけど、後者は女性4,5人のグループが多いから200万円くらいの売上になるんです。すると、ほとんど同じ仕事をしているのに、給料に差が生じてくるわけです」


「不公平ですね」


「そうでしょ。そういうことがあったので、社長に『ヨーロッパに行って勉強してくるので、2ヶ月お休みをください』って頼んだんです。そしたら、『2ヶ月は無理や。2週間で手を打つか、辞めるかどっちか選べ』って言われたので、辞めたんです。

それで『お金貯めてヨーロッパ行こう』って思ってたんですけど、再就職できるか不安もあったので、大谷大学(真宗の大学)に通うことにしました。『卒業する頃には、また就職できるだろう』と甘く考えてて。でも、大学通っている間にバブルは崩壊して、卒業する頃には就職口は全くなくて大変でした」


「タイミング最悪ですね……」


「困って右往左往しているうちに、真宗の本山(仏教の宗派内において、特別な位置づけをされている寺院)の職員を募集があることを知りまして。それで本山の試験を受けたら内定が出たので、本山で働くことになりました。一連の研修が終わったあと、東京に転勤になったんですが、そこでお坊さんの裏側を目の当たりにしたんです」


「お坊さんの裏側?」


「お坊さんの世界って案外、会議が多いんです。私は毎晩のようにその準備とか接待をしていたんですけど、当時は接待が4次会、5次会が当たり前で……


「そんなに?!」


「1番下っ端だったから、最後の1人まで見送らないと帰れなかったんです。平均午前3時くらいで、遅いときは始発まで残っていました。私、お酒飲めないんですけど


「(もはや地獄だ……)」


「綺麗で良い店ばかりだったので、恐らく何十万円という大金を毎晩のように使っているわけですよ。でも、お坊さんってみなさんからのお布施で、色々運営させていただいているわけだから、接待のお金もそこからでているんじゃないかって……」


「そうだとすれば、ひどい話ですね……」


「それに、真面目してはるお坊さんほど割に合わないんです。末寺(本山と本末関係にあるお寺)は、本山に税金みたいなものを納めないといけないんですけど、真面目に申告している人が損をして、悪どくごまかしている人が得をしているんですよ。

で、やっぱりお金があると権力も強くなって、真面目なお坊さんとの対立も生まれてくるわけです。私はそこに板挟みになって、心身ともに疲弊しちゃって。ある朝、起きたら身体が動かなくて、記憶喪失になっていました」

死に場所を求め、バイク旅へ


「半年ほどで記憶は戻ったんですけど、今度はうつ病になりまして。1年半くらいそんな状態が続くと、生きていることに罪悪感を抱くようになるんですよ。20代半ばも過ぎて昼間から働きもせず、家でゴロゴロしてるだけで何の生産性もない。でも、お腹は空くからごはんは食べる。

これから何年、何十年と1日3食を続けたら、鳥や豚などたくさんの命を頂かなくちゃいけない。いま死んだら、多くの命を奪わずに済むし、二酸化炭素も出さなくて済む、家族にも余計な迷惑をかけずに済む。だったら、もう死んだ方がみんなのためになるやんって。

だから、自殺しようと思ったんですけど、せめて死ぬときくらいはカッコよく、迷惑かけずに死にたいなって。それで、『ルパン三世』の峰不二子が夕焼けの中をバイクで走っていくシーンを思い出して、コレやなと」


「ん???」


「断崖絶壁から海に落ちていけばいいかなって思ったんです。断崖の入江のとこだったら見つからないだろうし、落ちていく間に怖くて気を失うらしいから、恐怖もないだろうし」


「あぁ、なるほど」


「地図を見てもどこに崖があるか分からないから、バイクで自殺する場所を探しに行ったんですよね。まぁ、日本海はなんか陰気な感じがするから、太平洋側を東京方面に走ることにしました。道中に半島がたくさんあるので、『伊豆半島あたりがいいかな、渥美半島もいいかな』って思ったりして」


「(なんか旅行の計画練るみたいなノリだな……)」


「でも、実際に走ってみると、良さそうなところがないんですよ。気がついたら東京を過ぎて、青森県の下北半島まで来ていました。バイクを止めて崖を覗き込んでいたら、近くの魚屋さんが声かけてきて。海の向こうに街っぽいものが見えたので、『あれなんですか』って聞いたら、『あれ函館や。青函トンネルで行けるよ』って。『あぁ、まだここが終わりじゃなかったんだ』って思いましたね」


「(技を極めつつある職人の台詞っぽいな……)」


「北海道もいっぱい尖っているから期待していたんですけど、日本最北端の宗谷岬まで行っても良いところがなくて……。全然見つからないし、お尻も痛かったから、一旦家に帰って出直そうと思いました。

その日はとりあえず野宿したんですけど、翌朝コンビニでパンを食べていたら、自転車に乗った中学生が『どこ行くんですか?』って話かけてきたんです。『どこも行くアテない』と言ったら、『じゃあここ、良かったんで行ってください!』って手書きで地図を描いてくれて。それが『北の国から』で有名になった美瑛(びえい)町というところで、ちょろっと行ってみようとしたら、道に迷ってしまったんですよね。

で、途中でバイクを停めて手書きの地図を見ていたら、今度は大阪から来ているお姉ちゃんが声をかけてきました。『京都からですか? どこ行くんですか?』って。そしたら、お姉ちゃんも同じところ行こうとしていて、そのまま一緒に行くことになったんです」


「なんかすごい展開ですね……!」


「やっぱりね、大阪の娘はパワーが違いますよ。こっちは死ぬつもりだったから、ご飯もそんなに食べてなかったんですけど、お姉ちゃんは『アレ食べよう! コレ食べよう!』って言ってくるわけですね。それで仕方なく食べるんですけど、めちゃくちゃ美味しいんですよ」


「北海道ですからね(笑)」


「そうこうしているうちに目的地に着いて、少し回ったあと、彼女とはお別れしました。『やれやれ家に帰ろうぉ』と思って、小樽から敦賀(福井)のフェリーに乗ろうとしたんですけど、たまたま台風かなんかで運行延期になっていたんですよね。

それで『また野宿か……』って海を眺めていたら、その日が花火大会の日らしく、ポッって花火が上がったんです。花火大会が終わる頃には、周りにバイカーのお兄ちゃんたちが集まってて、『飯食うた? 食いに行こうや!』って話かけてくれました。

何を食べるか話し合った結果、やっぱり地元の人に聞くのが1番だってことで、その会のリーダーみたいな人がお姉ちゃん3人組をナンパしてきました。お姉ちゃんたちは親切に店まで案内してくれたんですけど、そこで『一緒に食べましょう』って誘えなかったんですよ。見た目の厳つさとは裏腹に、気は小さかったみたいで(笑)」


「えぇ、もったいない!」


「でも、30分くらいしたら、そのお姉ちゃんたちが店に来て『一緒に食べていいですか』って。それでお姉ちゃんたちと一緒にごはん食べることになったんですよ。みんな可愛かったんですけど、1番可愛い子はリーダーの横に、残りの2人のうちの1人が僕の隣に座っていました。で、その子と色々話しているうちに意気投合して、住所交換して文通を始めることなったんですよね。当時はスマホとかなかったので」


「へぇぇ……!」


「少年に手書きの地図をもらったことがきっかけで、大阪のお姉ちゃんに捕まり、バイカーの兄ちゃんに捕まり、気がついたら女の子と住所交換している。死ぬつもりだったのに、女の子と文通することになって、お付き合いすることになったんですよ。フェリーに乗っているときには、もう手紙を書くことばかり考えていて、『死にたい』っていう気持ちが全くなくなっちゃっていました


「(恋愛って偉大だな……)」


「半年くらい文通とか電話とかしながら、純愛を謳歌(おうか)できたんですけど、遠距離は寂しすぎるからってことで別れました。ちなみに、1番可愛い子とリーダーの兄ちゃんはそのあと、付き合って、結婚しましたよ」


「すごい!!!」


「こちらは自殺願望が消えて……」


「それも十分すごいです(笑)」


「そうですね(笑)。やっぱり、人を好きになるってすごい力を持っているんですよ。その人に会うためにはお金を稼がなきゃいけないので、働く原動力にもなっていくわけです。

それでまた働き始めようと仕事を探していたら、ある古着屋が海外に行ける人・英語が堪能な人を募集してたんですよ。入社してみたら、社長が横暴な人だったので、結局すぐに辞めましたけど。

その後、事務の仕事をして、印刷の仕事に転職し、しばらく落ち着いた矢先に親が倒れて、寺に帰らなきゃいけなくなった……というのが、お坊さんになるまでの経緯です」


「……壮絶な経緯でした」

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【後編】仏教嫌いだったお坊さんが、仏教を広めている理由とは?「浄慶寺」住職・中島 浩彰さんに聞いてみた

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1994年生まれ、大阪出身。DATEMAKI編集長。複数のメディアの立ち上げに関わりながら、ライター・エディターとして活動している。「個の夢が否定されず、それぞれの人が自分らしく活きられる世界」を。